フィッシャー・緑

デンマーク語は私にとって単なる外国語ではなく、当然の日常語になりました。日本語が母語であることには変わりありません。同時にアメリカで生涯始めて外国語の生活をした体験もあり、ティーンの時代に肌から学んだ英語も、意識の重要部分を占めています。

フィッシャー・緑、旧姓山崎、出身は鎌倉です。1960 ~1961年に交換学生としてアメリカに滞在、1964年にデンマークへ移住しました。以来40年以上の年月、時には副業として、時には専業として、デン マーク語、英語、日本語の通訳、翻訳者、コミュニケーションコンサルタント等として仕事をしてきました。視察研修のプログラムをコーディネートする仕事も その一部です。

私がデンマークに移住した当時、海外旅行は自由化以前のことでした。それもまもなく自由になり、あふれるように日本人旅行者が海外旅行をするように なりました。旅行先において日本人旅行者の便宜・安全を図る純粋に日本人によるツアーオペレーターが創立され、コペンハーゲンの業務を任されるにいたり、 30余年、デンマーク支社を管理しました。

オペレーター業務の中で、重要な部分が視察・研修旅行(テクニカルビジット)のコーディネート(プログラム作成)でした。現地社会に関する広い知識が必要とされる分野です。

現在私は通訳・翻訳業と並んで、この視察研修コーディネーターとして、デンマークが誇る経験・知識の蓄積を、日本の方々と共有する仕事を楽しんでいます。

aps midorifischer

aps は株式会社と並ぶ、しかし限られた初期投資額で登録できる、有限会社の略号で、aps midorifischer は現在の会社名です。通訳・翻訳業にならんで、視察・研修のコーディネーションを続けています。